21世紀の情報社会とコンピュータ

『集合知とは何か ーネット時代の「知」のゆくえ』(西垣通著、中公新書、2013)を読んで
情報社会の行方と人間が出来ること、コンピュータが出来ること、を考えてみました。

〈BIG DATA〉
米国のIT企業EMCが2014年4月に公表した

"The Digital Universe of Opportunities"

によれば、2020年に人類が創出する情報量(デジタルユニバース)は44 Zettabyteに達します。(1 Zettabyteは1兆ギガバイト)


2010年の情報量は、すでに地球上の70億の全員が100年間連続してTweetする情報に相当していたそうです。

 

この調査によると、世界中のデータ量の飛躍的な増加において、「ワイヤレステクノロジー」、「スマートプロダクト」、「ソフトウェアで定義されたビジネス (Software-Defined Business)」が中心的な役割を果たしていることが分かりました。この「モノのインターネット(Internet of Things)」を1つの要因として、デジタル ユニバースは2年ごとに規模が倍増しており、2013年から2020年の間で4兆4000億ギガバイトから44兆ギガバイトへと10倍の規模に拡大すると 考えられています。2005年の最初の調査結果はわずか132EXbytes=1320億ギガバイト、つまり2013年の33分の1でした。


〈非構造化データを処理するIBMのワトソン〉

2012年4月に日経は以下のような記事を報道をしました。

 

ビッグデータと言われる今日、従来のコンピューターシステムでは管理や分析が難しい「非構造化データ」が8割を占めるという。
 
IBM研究所の特命チームが4年の歳月をかけて開発したワトソンは、定型文やキーワードではなく、自然な文章で与えられる質問を理解し、書籍に換算して 100万冊分の膨大なデータを3秒以内に分析して答えを導き出す能力を持つ。11年2月、米人気クイズ番組で人間の歴代チャンピオン2人に快勝し、その実力の一端を見せた。

 「集計するのが仕事だった1900年代初頭のコンピューターが第1世代とすれば、プログラムできるようになった60年代のコンピューターが 第2世代。そして第3世代は自ら学習し、提案する。ワトソンはそのはしりであり、ビジネスを大きく変えることになる」(CEOロメッティ氏)



〈21世紀の情報化社会とコンピュータの行方〉

西垣通氏は『集合知とは何か−ネット時代の「知」のゆくえ』(中公新書、2013)で以下のように結論を述べられています。


20世紀は、専門家から天下ってくる知識が、「客観知」としてほぼ絶対的な権威をもった時代だった。(中略)21世紀には、専門知のみならず一般の人々の多様な「主観知」が、互いに相対的な位置をたもって交流しつつ、ネットを介して一種のゆるやかな社会的秩序を形成していくのではないだろうか。それが21世紀情報社会の、望ましいあり方ではないのだろうか。

(中略)

コンピュータやサイバネティクスとつきあい始めて40年あまり、これが、情報学者として私のたどりついた結論である。p.216 (あとがき)


この結論に達するプロセスとして本書では以下のような論が展開されています。

1.1 専門知は当てにならない? 原発事故のもたらしたもの p.3
2.3 機械の知と生命の知 p.69
      AI (artificial intelligence) から IA (intelligence amplifier) へ pp.69-70
3.1 クオリア(qualia, 感覚質) たとえば色の質感の違い  一人称の知 pp.79-80
4.1-3 システム環境ハイブリッド(SEHS)とは p. 112-148

 

そしてコンピュータの進化について、以下のように、タイプが分類されています。

 

タイプⅠコンピュータとは、大規模な計算や大量のデータ処理など、既存の専門的知識にもとづく情報処理をおこなうマシン。
タイプⅡコンピュータとは、個々の人々の心をむすびつけるものである。 p. 211
タイプⅢコンピュータとは、人間のコミュニケーションにおける身体的・暗黙知的な部分を照射し、人間集団を感性的な深層から活性化し、集団的な知としてまとめあげるためのマシン。

正直なところもう少しsimple, short, straightに一般読者にも分かりやすく説明してほしい、と思う部分が多い本です。


しかし、著者の言いたいことは、結局コンピュータの出来ることには限界がある、一般の人々の多様な「主観知」が集合知を形成していく方向が望ましい、と私は理解しました。

「タイプⅠ、タイプⅡともにコンピュータ技術は米国がリードしてきたが、タイプⅢのようなきめ細かい技術は、日本人に向いているような気がしてならない。集合知はもともと、共同体的な知なのである」(p.213)  とあるのは日本人にとって心強い限りです。しかし、具体的にどのようなポテンシャルがあり、どのような研究開発が進んでいるのか、詳しく知りたいものです。第五世代コンピュータプロジェクト(通商産業省が1982年に立ち上げた国家プロジェクト。570億円を費やし、1992年に終結した)の二の舞は踏めません。

 

〈参加型授業、ワークショップの意義〉

 

私自身のこれまでの活動に対するインパクトとしては、参加型授業、ファシリテーション、ワークショップなどによる「集合知」の模索の手法に支援と追い風を頂いた気分です。