『日本人論の危険なあやまち』(高野陽太郎)

2019年6月29日にオンラインで第15回北欧に学ぶ創造性教育ワークショップを実施しました。

 

取り上げたテーマは「日本人は集団主義的か?」。高野陽太郎先生の「日本人は集団主義」という大いなる誤解」という説について議論することが目的でした。

 

高野先生の近著『日本人論の危険なあやまちー文化ステレオタイプの誘惑と罠』(ディスカヴァー携書、2019)を読ませて頂きました。

 

本書の結論は307-308ページに書かれています。

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「日本人は集団主義的、アメリカ人は個人主義的」という日本人論の通説は、事実に即していない。(中略)

 

この通説は、19世紀のアメリカ人がもっていた偏見に端を発しています。(中略)

 

現実の人間は、文化によってがんじがらめに縛られているわけではなく、その時の状況に合わせて、柔軟に行動を変えることができます。また、状況が変化すれば、文化それ自体も変化します。

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高野先生はスウェーデン交流センターの季刊誌「ビョルク」(第144号、2019年10月)のコメントで「(このワークショップでは)専らご自分の体験に依拠していた方々が多かった。この方法をとると、”確証バイアス”(無意識のうちに、先入観にあった事例ばかりを探してしまうというバイアス)等の思考のバイアスに影響されて、誤った判断を下してしまう可能性が高くなる」と指摘頂いています。

 

高野先生によれば、「日本人は集団主義的だ」という通説の検証には、最低限、必要な条件が3つあります。(pp 64-65)

 

-比較をすること

-同じような人たちを比較すること

-同じ状況で比較すること

 

そして様々な心理学的実験が紹介されています。

 

「恥の文化論、日本的経営論、タテ社会論、甘え論、間人論、自己管理論といった枝が広がり、(中略)誰の目にも大樹の威容を見せるようになっていった」(p.201)が、これらの通説は事実に即していないという検証がなされています。

 

私が現役時代授業でも取り上げていたホフステーデの文化と経営スタイルの四つの指標の一つは「個人主義 - 団体主義」ですが、高野先生の分析によれば、「じつは集団主義・個人主義とは何の関係もない研究だった」(p.87)そうです。

 

第四章(日本経済は集団主義的か?)では、年功序列、終身雇用、企業別組合の「日本的経営」の三種の神器の検証がされています。日本的経営については、バブル崩壊以降の日本経済の大きな変化とともに経営スタイルも変化していることには私も異論はありません。

 

私自身は国民性や文化のステレオタイプに興味を持ってきました。

しかし、高野先生によれば、「国民性も文化ステレオタイプの一つ」(p. 232)。「文化ステレオタイプは単純で理解しやすいので、異文化と自文化がどう違うのか、”分かった”という気にさせてくれます」(p 304)がその罠に落ちないことが重要。

 

たいがいの場合、文化というのは、日本人論などの文化論からイメージするほどには、大きな影響力はもっていない。ふつうは状況のほうがずっと大きな影響力をもっています。それどころか、文化そのものも、状況の影響を受けているのです。(p.248)

 

文化よりも状況、という説は、ある意味ではその普遍性を信じたい気持ちも強いです。文化、国民性には影響されず、同じ状況なら人は国や文化に関係なく同じような行動、判断をする、と。

 

その一方で私自身の場合、異文化との出会いがそもそも海外への関心の出発点でした。西村恵信先生との邂逅で、禅、鈴木大拙、西田哲学、などの東洋思想と西洋思想の違いに関心を持つようになったのです。そして自分自身の体験からも日本人論の多くに納得し、”分かった”という気になっていたことも事実です。

 

高野先生によれば、私自身も”確証バイアス”で誤った判断をしてきたのかもしれません。自分の興味、関心のスターティングポイントそのものを否定され、大きなショックでもあります。

 

これから私ができることは限られていますが、同じような「状況」で日本人と北欧人がどのように判断し、行動するのか、実験、検証して行きたい気持ちです。