以下私の感想をランダムにあげさせて頂きます。
1 東洋的一元論思想への期待
舘岡さんはあとがき(p 251)で「日本発、アジア発のパラダイムシフトを構築・確立したかった」と書いておられます。私も、21世紀における東洋的一元論思想のグローバルな汎用性に期待する一人として、『利他性の経済学』に拍手をし、その思想の拡散に期待したいと思います。
たとえば、『紛争の心理学』(ミンデル、講談社現代新書)に関心を持ったのも、私にとってはこのような背景でした。(注1)
2 日本的な組織・思考形態と支援
p 158に「実は日本の関係性は、変化をしないための関係性だった」、とあるのは強烈なショックでした。
本来なら、日本的な組織形態や思考形態は、欧米型の組織とくらべて支援関係に発展しやすい要因を持っているはずです。
「支援の数学は(中略)、最小単位は(1)ではなく(1,1)である。」「相手からしてもらえることによって、自分があり、自分がしてあげることによって相手がある。」(p 214−215)というのはきわめて東洋的な発想ではないでしょうか。
私が注目している岐阜在住の25歳の社会起業家、秋元祥治さん(www.gifist.net)の名言に「しあわせの最小単位は2人」というのがあります。
日本的な有機的組織は、ジェネラリスト志向(本書にあるトヨタの多能工も含む)、「間人主義」であり、欧米のメカニカルな組織、スペシャリスト志向、「個人主義」と比べて支援・協働関係への発展に有利であるはずです。
しかし、日本の組織の関係性が、「変化をしない」ことを前提としているなら、まさしく「三重苦」(p 157)であり、問題は大きいだけに、支援には大きな期待をかけるべきでしょう。
3 民間企業における支援組織について
『利他性の経済学』では、民間企業においても支援関係が浸透しつつある実例が、自動車産業を中心に臨場感あふれる記述で紹介されており、説得力があります。新車開発期間のシングル化(10ヶ月を切ること)には支援関係以外に方法がない、というのも納得出来ます。
ただ、「付加価値を極大化」する必要がある民間企業の支援組織についてもう少し詳しくお伺いしたいと思います。
「ピラミッド型組織からネットワーク組織への移行」が論じられています(p140−)。民間企業におけるネットワーク組織と支援関係を舘岡さんはどのようにお考えなのでしょうか。
「ネットワーク組織では、誰が上で、誰が下であるかというような固定的な概念・手続きは邪魔でしかない。大体相手にしてあげるかしてあげないかは、そのプレイヤー自体が決めるのである。さらに、そこに参加すること自体が、プレイヤーの意思決定に委ねられている。」(p 145)とあります。
たとえばかもめ倶楽部のような、すぐに付加価値を出す必要性がない組織ならこれはよく分かります。しかし、民間企業では少なくとも企業の方向性、目標についての共通認識が必要ではないのでしょうか。そのための意思決定システム、リーダーシップは、支援関係でどのようにあるべき、とお考えですか。
4 「情報の対称性」について。
91ページに書かれている、下の今起きている世界の底流の3つの変化は、本当に納得出来ます。
(1)つながり・関係性が飛躍的に広がってきている。
(2)観察系から参加系に移ってきている。
(3)関係性のルールがあらかじめ決まっていない。
そしてその背景には「今後三年間の情報量は、現在までの人類の歴史におけるすべてのデータ量を上回る」(p3)という「情報爆発」もあります。
情報の対称性、情報の共有化が支援関係にとっては大切である、というのはよく分かります。
ただ、情報爆発の時代では、人間の脳の処理能力を超える情報があり、すべての情報をチェックすることは到底無理です。だとすれば、情報の対称性に加えて、「何が大切かを判断する」個人個人・ステークホルダの力が大切になるのではないでしょうか。
5000人の社員が情報を共有するグーグル社における情報の処理のやり方は「情報自身が淘汰を起こす」そうです。(注2) 個人が判断をして重要な情報を選択している、と私はとらえます。
5 方法論について
プライベートな関係でも、企業団体においても、外交国際関係においても、支援関係を取り入れる必要があるパラダイムシフトはよく分かります。
そこで次のステップは、どのようにしてそのような方向に進むか、という方法論をさらに詳しくご教示頂きたい、と思いました。
新車開発期間のシングル化のような事例はよく分かります。しかし、たとえばイスラムとユダヤの問題(p 207−)では、具体的にどのような方法で支援関係を導入することが出来るのでしょうか。もちろんこれらは皆が考えるべき応用問題ですが。
『紛争の心理学』の感想共有会の呼びかけ文に私は以下のように書きました。
(1)私がこれまでの人生で大きな影響を受けた方の一人に、琵琶湖の東畔、滋賀県東近江市能登川(のとがわ)にある興福寺という禅寺の、西村恵信住職(花園大学前学長)がおられます。
私が生まれ育った実家からわずか200メートルくらいの距離にあり、両親が親しかったので、幼少の頃からよくお会いしていました。
西村恵信先生はアメリカのクエーカーの本部(フィラデルフィア)や大学によく禅の話に行かれ、『仏教とキリスト教との邂逅』、『キリスト者と歩いた禅の道』(法蔵館、2001)のお話を伺ったり、また興福寺によく来られるアメリカ人にお会いする機会があったのが、私が欧米の世界と考え方に関心を持ったきっかけです。
西村恵信先生との邂逅で、禅、鈴木大拙、西田哲学、などの東洋思想と西洋思想の違いにも関心を持つようになりました。
しかし、それまでの主に米国における禅や東洋哲学への関心は、主として「個人の」、自分自身の自己実現を目指したものでした。
『紛争の心理学』は、東洋思想をヒントに、個人と個人の間、民族と民族の間、国と国の間、など、複数の利害関係者の間の紛争を解決しよう、とする試みであり、その意味で画期的なものではないでしょうか。
東洋思想のグローバルな可能性を問われている、とも言えましょう。