今年の連休は沖縄ではなく、初めて奄美大島へ。
残念ながら例年よりは11日も早く、4月30日に梅雨入りし、連休期間中は毎日雨模様。
そのおかげで、博物館など文化探索の時間が多くとれました。
日本画家の田中一村の記念館(アマミパーク)や末期を過ごした家(名瀬市有屋)にも行きました。西郷隆盛は約3年弱奄美に潜居し、愛加那との間に2児を設けました。
奄美群島は15世紀以降琉球王国に服属しました。その後1609年薩摩藩が奄美・沖縄に攻め込み、奄美は薩摩の直轄支配下に置かれることになります。
薩摩藩は「黒糖地獄」といわれた奄美大島の砂糖の搾取政策をとって巨利を得、明治維新の資金等に充てられたそうです。
明治中期(1888)になると鹿児島県は「新たな島差別」ともいうべき「奄美独立予算」制度を1940年まで実施し、内地の産業基盤整備を優先しました。
奄美は琉球と薩摩の間にあり、沖縄と比べると文化的にもやはり日本に近い感じがあります。
たとえばお墓も沖縄のように中国風ではなく、日本風。
しかし、お寺や神社が少ないのはやはり日本離れです。
代わって奄美で活躍したのはノロとユタ。「個人的な」悩みに対応するシャーマンがユタ。女性神職がノロです。
もっともっと知りたい、と思った奄美です。
参考資料:『奄美、もっと知りたい』神谷裕司著、南方新社、1997