『どこにもない国』by Edith Södergran

『どこにもない国』(2010)の著者・三瓶恵子さんの講演会。

 

本書の〈はじめに〉で三瓶さんは以下のように書いておられます。

 

エディスはフィンランド教養人にとっての”試金石”でもある。つまり、「エディス・セーデルグランをどう思うか」という問いかけへの答えによって、その人の文学的な位置が判断できるのだという。(中略)

 

彼女の最後の詩集の題は、『どこにもない国』である。彼女が生きたライヴォラ村は、現在はロシア・カレリアに属しているが、ロシアとフィンランドとの領地争いの激しい戦場となったため、何もかもが焼き尽くされてしまった。 (中略)

 

どこにもない国に生きた詩人のどこにもない国は、本当に今も、どこにもないのだった。

 

三瓶さんのお話を伺いながら、私も「エディス・セーデルグランをどう思うか」という問いかけに挑戦していました。私はもちろん文学的素養はゼロですが、〈エディス・セーデルグランが一番伝えたかったメッセージは何か?〉と置き換えて考えていました。

 

三瓶さんに質問したら、「自分自身でありたい。当時の女性はそうであることが容易ではなかった」とのお答えでした。そうでしょうね。さらに私はエディスは「自分自身は何か? 自分のアイデンティティーは何か?」を模索していたのではないか、と感じました。「どこにもない国に生きた詩人」はどこにもない国に生きたことそのものがアイデンティティーであったのかもしれません。