『反・幸福論』by 佐伯啓思 (新潮新書、2012)は大変興味深い一冊です。
〈はじめに〉で著者は以下のように述べています。(pp 7-8)
本書では、今日の日本で起きた出来事を素材にして、今日の日本人が忘れてしまった価値について考えてみたいのです。日本の伝統的精神のなかには、人の幸福などはかないものだ、という考えがありました。むしろ幸福であることを否定するようなところがありました。少なくとも、現世的で世俗的で利己的な幸福を捨てるところに真の幸せがある、というような思考がありました。
そして、以下のような〈素材〉を扱っています。
・サンデル教授「白熱教室」の中の幸せ (第一章)
・「無縁社会」で何が悪い (第三章)
・人が「天災」といわずに「天罰」というとき (第六章)
・溶解する技術文明 (第八章)
・民主党、この「逆立ちした権力欲」(第九章)
たとえば、第六章には「日本人の自然観」について、以下のような興味深い記述があります。(pp 161-162)
日本人のもっている自然観は西欧のそれとはだいぶ違います。自然にはどこか「おのずから」というニュアンスがついている。(中略)
相良亨氏の指摘によりますと、「自然」という漢字をあてる時、これを「じねん」と読む場合と「しぜん」と読む場合がでてくる。「じねん」と読めば、これは今日の「自然」と同じような意味で、一方「しぜん」と読むときは、万が一の異常事態をさしたようです。(相良亨『日本人の心』東京大学出版会)
このことが意味するのはどういうことか。(中略)両者は究極的にはつながっているのです。
そして著者はあとがきで、以下のように本書執筆の動機を述べておられます。(pp 252-253)
(かぐや姫の「神田川」の歌詞「何も怖くなかった。ただ貴方のやさしさが怖かった」等に触れ)、「私には、今という時代は、あまりに「暗さ」や「哀しさ」を忘れた時代のように思われます。(中略)いわゆる日本的精神というものは、大方、この「哀」を軸にして展開してきたといってもよいでしょう。
こういう次第で、「幸福論」というものには私はあまり関心がありません。しかし、また「不幸論」を書くほど「不幸」な人生を歩んできたとも思えません。そこで、いくぶんかは時代の風潮への批判的まなざしをこめて、「反・幸福論」を書いてみたいと思ったのです。」
著者は京都大学大学院人間・環境学研究科教授。幸福論をフォローしている私だけではなく、すべての日本人に読んでほしい価値ある一冊でしょう。