私の尊敬するOさんのメルマガに大変興味深い逸話が紹介されていました。少し長くなりますが、引用させて頂きます。
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1968年(昭和43年)のこと
小学校3年生のときのことです。担任の先生が大嫌いでした。
幼稚園から小学校、中学校、高校、大学に至っても、恩師はおろか、好きな先生もい
ませんでした。嫌いな先生が多く、あとは記憶に残っていない先生がほとんどです。
いまでこそ、さまざまな学校の先生とお付き合いさせていただいていますが、とにか
く学生時代は、嫌いな先生ばかりでした。いまお付き合いいただいているような方々
が私の学校時代の先生だったらどうだったんだろうと、時々思うことがあります。
だからといって、学校時代がつまらなかったとか、先生が嫌いだからどうだとかいう
ことは、ありませんでした。
中でも小学校3年生のときの担任は、大嫌いでした。何が嫌いだったのか、どこが具
体的に嫌いだったのかは、今となっては覚えていません。
小学校3年生の時に、こういう出来事がありました。
そのころ、わりとよく遊んでいたOという友達がいました。彼はよくいたずらもして
いました。先生にも時々怒られてもいました。
ある日の朝、何があったのかは覚えていませんが、Oが先生の怒りをかいました。先
生は怒り、クラス全員に、こう言い放ちました。今日1日、Oと口をきいてはいけな
い、と。無視せよというのです。もし言われたことを守らないでOと口をきいた者
は、Oと同じように無視するように、とも言いました。
こう言われた時に私は、怒りがこみ上げてきました。Oがかわいそうなのはもちろん
ですが、こう言った先生に、ものすごく腹が立ちました。何とかしようと思いまし
た。決して正義感からそう思ったのではなく、とにかくこの先生が嫌いだったので
す。
私は休み時間になると、クラスの誰も見ていないところで、Oとこっそり話しまし
た。そのうえで、他の生徒に話しかけました。当然話しかけられた生徒は、私と口を
ききます。そこで私が言います。今私はOと話した。Oと口をきいた私と口をきいた
お前も、同罪だと。無視されるのが嫌なら、他の生徒と話すように、言いました。そ
うするとその生徒が面白がって、他の生徒に口をききます。休み時間が終わるころに
は、全員が普通に話していました。
休み時間が終わり、担任が戻ってくると、クラスの様子を見て怒り出しました。なぜ
Oとも話をしているのかと。私は、Oと話した友人と、知らないで口をきいてしまっ
た、そして他の友人とも口をきいてしまったと説明しました。それが全員に伝播した
と。
その後のことはよく覚えていませんが、先生に何か言われたり、怒られたりはしな
かったと思います。ただ、すごい形相でにらまれたのは覚えています。
この担任は、3年生が終わると、転勤になりました。クラスの何人かは、転勤になる
先生を、最後に駅まで見送りに行こうと言いましたがが、私は行きませんでした。顔
も見るのも嫌だったからです。とにかく、大嫌いでした。今でも名前すら覚えていま
せん。
おそらく私の学生生活の中で、ワースト3には入る先生でしょう。
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〈幼稚園から小学校、中学校、高校、大学に至っても、恩師はおろか、好きな先生もいませんでした。〉
というのは私もよく分かります。日本の学校では個性を抑え、まわりとの調和を求めます。そのようなパターンに合わない個性的なパーソナリティーは殺されてしまいます。しかし、これからのNIPPONに必要なのはまさしく、個性的でクリエイティブなパーソナリティーなのです。
このエピソードを読ませて頂いて、高橋絵里香さんの〈青い光が見えたから〉(講談社)に紹介されている逸話を思い出しました。髙橋さんは高校からフィンランドに留学し、フィンランドでもうすぐ教師になられる方です。
彼女が富良野の中学生の時、生徒に暴力を行使する先生がいました。その行為を目にしながら何も反抗しなかった自分が(フィンランドにいる)今は本当に悔しい、と思う。という内容でした。
〈正しくないことは正しくない〉といえる環境が必要です。
NIPPONの学校は個性と創造性を開花させる方向に変わらなければなりません。そうでなければNIPPONの将来もないでしょう。