日本人のコミュニケーション Communication of Japanese

私の尊敬するファシリテーションの先生、NECO塾塾長の岡山 洋一先生が個人通信第65号 (2017年1月12日) で以下のような興味深いコミュニケーション論を展開されています。  
 
自分の考えていることと相手の考えていることは本質的に異質であるという前提があったからこそ、コミュニケーションの必要性が生まれたのである。相手を説得しようとする努力はなくとも心で通じるというような恵まれた環境から英語は生まれてきたのではない。その証拠に、コミュニケーションに該当する日本語はごく最近までなかった。わが国の英語教育の目標にもコミュニケーションという基本的な概念すら入っていない。(松本道弘『私はこうして英語を学んだ 増補改訂版』(中村堂、2014年)223~224ページ)
 
そして、
 
松本道弘氏の文章を読んで、改めて気づきました。今言われているコミュニケーションについての考えは、全く逆であると。
 
昔はコミュニケーションがとれていたと言います。しかし本当でしょうか。これは錯覚ではないでしょうか。コミュニケーションがとれていたのではなく、必要がなかったのではないのでしょうか。昔は同質の人同士で仕事をし、付き合いもし、飲み会も行っていました。みんな同じような考えを持っており、同じように行動をしていまし
た。それが昔の日本でした。
 
しかし最近、といっても随分前からですが、日本人も同質ではなくなってきました。
 
というご意見です。
 
そのとおりですね。
スウェーデン人と一緒になって半世紀近くになりますが、私自身の経験でも立証できます。
日本人の間なら説明する必要がないようなことも全て明瞭な言葉にして伝える必要があり、本当に苦労しました。
外国人との間では以心伝心というのは無しです。日本人の間では自明なことでも分かりやすく説明するトレーニングを毎日のようにして来ました。
日本でも社会はものすごいスピードで変化しています。岡山さんのご指摘のように世代間のギャップも拡大しています。
そしてグローバル化。日本国内にいても外国人とのコミュニケーションは不可避です。海外では外国人にも日本の事情や見解を分かってもらえるコミュニケーション能力が重要です。
こちらに住んでいてつくづく感じるのは日本人のプレゼン、コミュニケーション能力が低いことです。日本国内では以心伝心でそのような必要がない状況が多いからかもしれません。
よく言われるように、意思決定者はもちろん、日本人全てにコミュニケーション/プレゼン研修が必要ですね。