日本人の「教育改革論」by David Atkinson

デービッド・アトキンソン さんの日本論にはいつも共感しています。

 

東洋経済オンライン(2019-03-27)の記事を読みました。

 

 日本人の「教育改革論」がいつも的外れなワケ

課題は「子ども」ではなく「社員教育」にある

 

"日本経済の仕組みが人口増加を前提として出来上がっており、人口減少の時代には相応しくなくなっているので、大改革が必要不可欠だ。

 

どのテーマを掘り下げても、結局はこの結論に達するのです。"

 

しかしこの記事で指摘されている ”課題は「子ども」ではなく「社員教育」にある” には異論があります。

 

社員教育、あるいは生涯教育が重要なこと自体には私も異論はありません。

 

”人口減少に対応するためには、日本は「高生産性・高所得」経済モデルに移行しなければなりません。そのためには、各企業に最先端技術を普及させることが重要です。新しい技術を導入するとなれば、それを使いこなすために、新たな社員の教育が必要になるのは当然のことです。” はその通りです。

 

しかし、「社員教育」「生涯教育」だけが問題で、「子どもの教育」は問題ではない、というのは賛同しかねます。

 

二者択一ではなく、スウェーデンのように子どもも大人も「分けない」教育戦略が必要でしょう。

『みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略』川崎一彦等、2018、ミツイパブリッシング

 

デービッド・アトキンソン さんご自身、”子どもの教育の充実が重要なのは私も決して否定はしません。しかし、(中略)、全国民の82%以上が25歳以上になるのです。25歳以上の人を対象とした教育のほうが、わずか18%しかいない25歳未満の教育より、ずっと重要になるのは当然でしょう。”

 と書かれています。彼の論は当面は「社員教育」「生涯教育」を優先すべきと解釈します。

 

私自身現役時代には高等教育と初等中等教育の両方に関わってきました。

 

日本の「子どもの」初等中等教育に基礎的、構造的な欠陥があるのは否定できません。そして大学生になってからでは遅すぎる、というのも実感でした。

 

デービッド・アトキンソン さんが「社員教育」「生涯教育」の重要性を指摘して下さるのはありがたいことですが、それによって日本の将来を支える「子どもの」教育の基礎改革の重要性が低下する訳ではありません。